アンティークジュエリーの本場はイギリスとフランスに分かれます。古い時代のジュエリーも、その国のモードや民族意識がジュエリーに反映され、同時代のジュエリーであってもずいぶん異なる印象を与えます。

今回はスノッブな雰囲気の19世紀イギリス、ヴィクトリアン期と呼ばれる、宝飾史の中でも非常に重要な時期のジュエリーについてお話したいと思います。

イギリスロンドンはアンティークジュエリーの宝庫だった!

ジュエリーに興味を持ち出し、アンティークの魅力にどっぷりはまった方がまず行きたい国に挙げるのが、イギリスとフランスです。特にイギリスは英語圏であり、ロンドンにはさまざまな多国籍文化が共存し、古き良き歴史と王室を感じられるとあって、日本人には人気が高い国になっています。

それではまずヴィクトリアン期のお話をする前に、復習としてアンティークジュエリーの定義、そして芸術国家イギリスについて少しご紹介しましょう!

きちんと理解はできている?アンティークジュエリーの定義

アンティークジュエリーは制作されてから100年以上経過しているジュエリーのことを指し、いわゆるヴィンテージ、レトロとは異なります。ただし100年以上経っているからといって必ずしも価値があるわけではなく、ピンからキリでアンティークジュエリーを楽しめる気軽さも持ち合わせているのです。

代わってヴィンテージジュエリーというのは、モダン物でもアンティーク物でもない、ヴィンテージジーンズのような渋い味が滲み出ている時期のもの。つまり制作されてから最低20年以上経過しているものを指しますが、ジュエリー業界では1920から1980年に制作されたものを指します。

ヴィンテージジュエリーでもファインジュエリーブランドのものは、大変な価値があることも多く、ブランド側も古い時代に作られた同ブランドのジュエリーを買い戻し、歴史的ジュエリーとして保管しているくらいです。

補足ですがレトロジュエリーとは年代的な制限や美術価値に重きを置いたものではなく、あくまで懐古主義的な懐かしいスタイルのジュエリーを指します。

年代差によってその形容こそ異なりますが、アンティークとヴィンテージは、リンゴとナシくらいに似ているようで似つかない独特の魅力があるので、その違いをはっきりと頭に入れておきましょう。

蚤の市からオークションハウスまで!イギリスのジュエリー環境が素敵

時間とロマンを追いかけてお金を費やしたら見えてくるもの、それがアンティークジュエリーの真髄なのでしょう。イギリスは紳士淑女の国であるため、モダンとアンティークの共存が非常に上手く、アンティークジュエリーも一切浮くことなく、イギリス人の指、腕、首元に収まっています。

さてその首都であるロンドンには、サザビーズ、クリスティーズにボナムズなどの老舗オークションハウスだけでなく、手頃から最高級ラインのアンティークジュエリーをそろえる老舗店がしのぎを削っています。(特にボンドストリート沿いは、高級ブランド店と共存するように、アンティークジュエリーのお店が点在しています。)

それぞれのお店が得意分野のジュエリーをそろえ、数百ポンドで購入可能なものから、それこそ美術館級のものまで、ちょっとドレスアップしないと入店するのを躊躇うくらいの圧倒的雰囲気がさすがロンドンです!

またグレイズアンティークセンターのようなスタンド形式のマーケット、いわゆる蚤の市形式のカムデン・パッセージマーケットやポートベロー・アンティークマーケットなども曜日限定で開催中!アンティークジュエリーだけでなく、様々な年代の骨とう品をお手軽価格で購入できるとあり、地元民だけでなく観光客にも人気のスポットになっています。

鑑定眼が養われていないとその目利きは難しい点も否めませんが、イギリスではアンティークジュエリーの鑑定を生業にしている元ディーラや職人も多いので、購入したジュエリーをプロに鑑定してもらうのも面白いかもしれませんね!

ヴィクトリア女王が即位!近代宝飾産業の礎を築いたヴィクトリアン時代

イギリス王室において最も長い在位を誇るエリザベス2世女王。日本と頃なる風土で、開かれた王室を意識しているイギリス王室ではありますが、宝飾史においてエリザベス二世女王の高祖母であるヴィクトリア女王が在位した、1837年から1901年をヴィクトリアン期と呼んでいます。(ちなみに現在のジュエリーモードは、エリザベス期とは呼びませんが)

ヴィクトリアン時代はジュエリーの大衆化と機械化が急進!

世界の工場という類まれな地位を既に手に入れたイギリスは、世界各地に点在する植民地を支配していきました。富がイギリスに集まり、そして王侯貴族のための宝飾品がより大衆化してきたのがヴィクトリアン期の大きな特徴と言えます。

1837年にヴィクトリア女王が戴冠し、1901年に崩御するまでの70年弱を宝飾史ではヴィクトリアン期またはヴィクトリアン朝と呼び、前期(1837年から1860年まで)、中期(1861年から1885年)、そして後期(1886年から1901年)に分けられます。

どこの国の君主も同様ですがヴィクトリア女王も大変なジュエリー愛好家であり、イギリス国内外にそのモードを発信した張本人とも言えます。

例えばヴィクトリア女王は好んでスネーク柄の斬新なデザインのリングやブレスレットを颯爽と着こなし、センチメンタルジュエリーの礎となる愛の言葉や感情をモチーフにしたジュエリーを流行させました。

大衆にまでジュエリーが普及したことにより、様々なデザインのジュエリーが工業化の波にのり安価で提供され、ジャポニズム(日本趣味)やシノワズリ(中国趣味)などの異国文化がジュエリーデザインにも大きく影響を与えた時期でもありました。

ヴィクトリア時代の顕著な特徴はモーニングジュエリーと黒を基調にしたジュエリー

ヴィクトリア女王が在位した時期に作られたジュエリーをヴィクトリアン期と呼ぶわけですが、この時期に作られたジュエリーはジュエリー制作の機会化が始まり、9カラットゴールドが認められるなど、ジュエリーの品質低下を呼んだことも特徴の一つです。

しかしこの時期にあるジュエリーは、避けては通れない死をテーマにしたジュエリーが多く作られ、長い宝飾史の中でもロマンにあふれたジュエリーが多く残されています。

これはヴィクトリア女王の夫君である、アルバート大公が崩御した1861年が始まりです。愛した夫が亡くなり、悲しみに暮れた女王が行き着いたのは、10年にも及ぶ喪中でした。国を背負う女王も一人の人間であり、妻である。そんな深い愛情が長い隠居時代につながったわけですが、彼女はこの時期からダイヤモンドや半貴石がちりばめられた豪華絢爛なジュエリーではなく、特別な宝飾品を身に着けるようになります。

つまり死を思えと訳される「メメント・モリ」の精神が宿った、人間のはかなさや死者への哀悼を表現したモーニングジュエリーのことです。在りし日の姿をエナメルで描いたジュエリー、亡き者の遺髪で編みこまれたブローチが有名ですが、ヴィクトリア女王が最も絶大なムーブメントを先導したのが、ジェットと呼ばれる流木の化石のジュエリー。

ジェットは日本語で黒玉と呼ばれると通り、艶のある漆黒の素材であり加工しやすい柔らかさが特徴。ヴィクトリア女王はこのジェットのジュエリーを愛用し、王室メンバーや職員にも黒いドレス着用を強制したため、爆発的にジェットの需要が王室から大衆へと広まり、人気に火をつけたというわけですね。

なおジェットの代用として安価なゴム、ガラス製品も生産されましたが、ジェットと並んで人気を博したジュエリーとして、黒いべっ甲の上に象嵌を施したピクエと呼ばれるジュエリーも登場しました。

ヴィクトリア女王の人生と嗜好がそのまま宝飾史に反映されたヴィクトリアン期ですが、このほかにも南アフリカでキンバリー鉱山が発掘されたり、大量生産によるジュエリーの品質低下を嘆いた、芸術家たちによるアーツ・アンド・クラフト運動が勃発した時期でもあります。

まとめ

世間の大量消費に対する需要を満たすための工程の近代化、低品質のゴールドの普及に人の心に響くセンチメンタル、モーニングジュエリーが登場したヴィクトリアン期のジュエリー。

イギリスにおける芸術作品の様式は王朝や王、王妃の名前を配したものがほとんどですが、栄華を極めたヴィクトリアン期は女王の死とともに、新たなエドワード王支配によるエドワーディアン期へとつながっていくのです。

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