日本人の琴線に触れる、どこか懐かしい浮世絵や掛け軸。普段日本美術と深い接点を持っている方は多くはないと思いますが、その雅なオリエンタリズムは宝飾史と深い関係にあるのです。

今回は煌びやかなジュエリーとジャポニズムの素晴らしき化学反応について、お話ししてみたいと思います。

異国趣味に始まった新たな芸術の形

19世紀の欧州では、社交に華を咲かす上流階級にとって、ジュエリーはなくてはならない自らを誇示する恰好の手段になっていきました。朝と夜に異なるスタイルのジュエリーをあてがい、そして死者を悼むモーニングジュエリーを身に着ける。全てのジュエリーに何かしらの意味が込められ、ジュエリーに対する世界観も欧州内地から、見たこともない異国へとロマンを募らせるようになるのです。

パリとロンドンに開花した異国文化への関心

19世紀後半にもなると、イタリアなどを周遊するグランドツアーとは異なる海外旅行が可能となり、中国大陸や遥かインドにまで進出が始まります。欧州を離れた世界旅行を楽しめるのはごく一部に限られていましたが、東洋とりわけ日本の美術をより身近で鑑賞できる機会は少なからずあったようです。

そのチャンスこそが万国博覧会と呼ばれるもので、特にロンドンで1862年に開催されたロンドン万国博覧会では、パリで人気を博していた日本趣味に拍車をかけるように、浮世絵や工芸品に熱を上げ始めました。

鎖国状態にあり欧州との窓口はオランダ商船に限られていた状況で、日本美術を知りえる機会は非常に限られていましたが、鎖国が終焉すると同時に日本美術は欧州で華やか脚光を浴びることになるのです。

特にパリにおける日本趣味、フランス語に訳すとジャポニズムの人気の高さは尋常ではないレベルに到達し、エドガー・ドガ、ゴッホなどの印象派絵画には浮世絵、掛け軸そして屏風などが描かれるようになりました。

金属工芸についても同様で、根付や鍔に施された見事な彫刻と見たこともない合金の美しさが、同時代の作家たちに新しいジュエリー制作のインスピレーションを与えたことは言うまでもありません。

今まで慣れ親しんだデザイン、素材という既存の枠組みから、オリエンタル、エジプトリバイバルなどのスタイルを組み込むことこそが、新しい芸術運動へのきっかけになっていくのでした。なおジャポニズム以外に芸術に大きく影響を与えたものとして、中国のシノワズリ、インドのインド趣味などが挙げられます。

不思議な縁を感じる日本とリバティ商会

ロンドンでは日本趣味に通じる様々な日本の芸術品や、オリエンタル趣味の工芸品を扱うリバティ商会が開業します。ロンドン万国博覧会で人気を博した日本の工芸品ですが、リバティ商会は百貨店として日本の工芸品、美術品を販売することで、多くの顧客を獲得しました。

リバティ商会は東洋の物産、織物を中心に販売を展開していきましたが、彼らが販売した日本の美術品が後のアーツアンドクラフト運動を扇動し、そして自然調和、非対称の曲線を特徴としたアールヌーヴォーの礎になっていくのです。

現在も装飾品を始め、家具やギフトなどを販売しているリバティ商会ではありますが、小さな日本との縁を感じさせる出来事が伝えられています。

創始者アーサー・リバティがリージェント・ストリートに店を構えた時、彼が雇用した二人の従業員の1人が日本人の少年だったそうです。彼の名前や年齢などの詳細こそ伝わっていないものの、もしかしたらその少年が、欧州におけるジャポニズムの一端を担っていたのかと思うと、なんだか嬉しくなってしまいますね!

ジャポニズムとは?欧州を圧巻した日本趣味の世界

芸術における異文化流入が、その幅と質に深みを与えたといっても過言ではありません。ここではそのジャポニズムがジュエリー産業に残した軌跡という観点から、その優美なスタイル、想像力に富んだ描写について考察していきたいと思います。

ジャポニズムがジュエリーに与えた影響とは?

未知の国々からもたらされるのはデザインだけでなく、動物の角、象牙やサンゴなどの珍しい素材をもたらしました。今でこそよく目にするものですが、ジュエリーの進化というものは、新たな素材との出会いから発展することが多い点も覚えておきましょう!

さて日本には前述のような鍔や根付、または印籠などに代表される金属工芸品が多く作られていきましたが、実際宝飾史の中でも特異的に宝飾品と呼べるようなものはあまり発達しませんでした。にもかかわらず欧州を圧巻するかのようなジャポニズムの影響力は、一重に金属工芸に施された細かな細工にありました。

彫金の世界においてフィレンツェ発祥の洋彫り技術インチジオーネが有名ですが、日本古来の和彫りにこそ、欧州の宝飾世界を賑わせた理由があったのです。手の平に収まるような金属工芸に光るのが日本の金工による巧みな和彫りであり、また今までに見たことがなかった金属の配合による合金に、多くのジュエラーが関心を寄せました。

イギリスのジュエラーは日本の赤銅、四分一などのジュエリーサンプルを作りますが、14世紀から続く厳格なホールマーク制度がゆえ、日本のような自由な創作は普及しなかったようです。

欧州で流行ったジャポニズムと言えば、日本の金具をブレスレットにしたり、刀装具をブローチに加工して西洋風にアレンジされたものが人気を博しました。また市場でしばしば見られる屏風絵や浮世絵からヒントを得たであろう、扇子や竹細工、スズメが飛び交う風景をそのままデザインした髪飾りまで、和洋折衷のオリジナルジュエリーも多く制作されました。

ちなみにこれらのジャポニズムの流行は大陸を跨ぎ、アメリカのジュエリーメーカーにも強い影響を与えたことも忘れてはなりません。

それらのジャポニズムのジュエリーが日本のアンティークジュエリーマーケットで高額に取引されていることは何とも興味深く、いかに現代の日本人が日本文化に対して懐古傾向にあるかを示す好例とも言えます。

ジャポニズムとジュエリーの名工たち

ジャポニズムが最もジュエリーデザインに多用された時期は、19世紀終わりのアールヌーヴォー期~アールデコ期が最も影響を受けた時期と思われます。

特にアールヌーヴォー期では、デザインモチーフの広さ、半貴石の多用、そしてその曲線の使い方が特徴的と言えますが、空間処理の取り方やアシンメトリーなデザインは日本由来と言ってもいいでしょう。

またこの時代には様々なジュエリー作家が、素晴らしいマスターピースを制作していますが、そのエナメルを多用するデザインにも、ジャポニズムを思わせる図案がよく見られます。特に日本趣味が顕著な作家として、リュシアン・ファリーズやジョルジュ・フーケ、ルネ・ラリックなどが挙げられます。

どこかルネサンスにも通じるような大胆な石使い、そしてあまりに前衛的で自由なデザイン、それらのジュエリーを見ていると、線のライン、群生する植物や身近な小動物のどれもに日本の麗しい自然を感じるはずです。

件のルネ・ラリックに関しては、市場に溢れんばかんりに現れる安価なコピー作品に打ちひしがれ、その興味の対象をガラス工芸へと向けてしまいましたが……。

このようにアールヌーヴォー期には無名~高名であろうと関係なく、多くのサインドピースと呼ばれる署名付きの作家ものジュエリーが発表され、それらのデザインの多くにほのかな日本趣味を感じさせる心地良さがあるのです。

日本でジャポニズムに影響を受けたジュエリーコレクションを鑑賞できる機会は多くないと思いますが、パリのプチ・パレ美術館には非常に質の高いアールヌーヴォージュエリーのコレクションが所蔵されています。またルネ・ラリックのジュエリー、そして日本から輸入された工芸品の多くは、リスボンにあるグルベンキアン美術館に展示されているので、気になる方は訪れてみはいかがでしょうか?

まとめ

宝飾品に比較的関心が薄かった日本が、西欧のジュエラーにこれだけ大きな影響を与えたことは、宝飾史の中でも特質すべき出来事です。

ジャポニズムという芸術運動、聞いただけではその魅力は伝わらないと思います。もし雅な雰囲気のアンティークジュエリーを見かけることがあれば、ジュエリー各々に宿る作り手の思いを感じながら、日本趣味の痕跡を探してみるのも面白い発見になることでしょう。

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