偶然の発見が新しい価値につながる

現在、流通している世界のオパールの約90%はオーストラリア産です。オパールの中で最も高価な種類はブラック・オパール(地色が黒色)です。そのブラック・オパールのほぼすべてをオーストラリアが供給しています。日本は世界でも有数のオパール購入国(消費国)です。
1800年代、オーストラリアのオパールはまだ知られていませんでした。この年代ではハンガリーやチェコなどの国からわずかに産出し、ヨーロッパに供給されていました。
1889年、宝石商のウォラストンが初めてオーストラリア産のホワイト・オパールをロンドンに持ち込みました。オーストラリアのホワイト・クリフ(White Cliffs)という地域で発見されたホワイト・オパール(地色が白色)でした。やがて、オーストラリアはオパールの大供給国となっていきます。
さらにオパールの歴史に残る大発見がありました。今まで見たことも無いオパール、ブラック・オパールが発見されたのです。
1901年、チャーリー・ネットルトン(Charlie Nettleton、1862年生~1946年没)はオーストラリアで金の鉱脈を探していました。その年のある日、牧童(ヒツジの世話係)のライアンは手に持っていた虹色に光る石をチャーリーに見せました。
チャーリーはその石がオパールではないかと判断しました。しかし、今まで見たこともない種類ではと確信しました。そこで、金の探索を止めて、この新しいオパールを採掘する決意をしました。この石の発見場所は、後に有名になる「ライトニング・リッジ」(Lightning Ridge)(ニューサウスウェールズ州)(シドニーから北西へ750キロメートル)でした。
1902年、チャーリーはライトニング・リッジでブラック・オパールの採掘を始めました。しかし容易に鉱脈を見つけることはできませんでした。そして1903年、ついにブラック・オパールの鉱脈に出会ったのです。
チャーリーはこのブラック・オパールをシドニーの宝石商に送り、買取価格の算定を依頼しました。ところが、この宝石商はまだブラック・オパールの価値が判らず、かなりの低価格を提示してきました。
そこで、チャーリーはホワイト・クリフでホワイト・オパールを採掘していた有力な宝石業者に持ち込みました。この業者は一目で持ち込まれたオパールの価値に気付き、すべてを買い取りました。
さらにこの業者は、直ちに部下に命じて、ライトニング・リッジの有望な鉱区の採掘権を押さえる行動をとりました。そして、ブラック・オパールはオーストラリアを代表する宝石に成長して行くのです。

ブラック・オパールの本質とは

ブラック・オパールの定義はふたつあります。
ひとつは、黒色や灰色の地色(背景色)に遊色効果(虹色効果)を示すオパール。
もうひとつは、黒色や灰色の地色に遊色効果を示し、さらに母岩(粘土質砂岩、微粒子が水中で堆積し、脱水、固結した岩石)を伴うオパール。

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