日本での鉱山探索事業

1960年代、天然資源の少ない日本では、地下に眠っている有用な資源を探し出し、掘り出して、社会で活用することが大きな課題でした。また鉱山事業を継続することは、探鉱、掘削、精錬などの技術を育成、維持するために必要でした。さらに外国の資源開発に参画できる力を養っておく必要もありました。
国の支援を受けて、「金属鉱業事業団」は1965年から全国の有望な金鉱床を探し始めました。

その後、鹿児島県の菱刈地区に的を絞り、試掘(試しに穴を掘り、地下の岩石や鉱物を取り出して、有用金属の存在を調べること)を開始しました。この地区は江戸時代から金がわずかに採れる場所として知られていました。(右図黒丸印、鹿児島県伊佐市)
1980年から1981年にかけて金属鉱業事業団は3本の試掘を行い、高い品位(鉱石1トン当りに含まれる金の量)の金を含む石英脈を発見しました。

品位の高い菱刈地区の金鉱山

この情報を基に住友金属鉱山株式会社(東京都港区)は、さらに試掘を増やして、詳細な調査を行いました。その結果、驚くべき数値が得られました。世界最高の品位を持つ金鉱山であることが判りました。
金の品位は平均50グラム/トンという数値でした。世界で採掘されている金鉱山の品位は一般に5グラム~6グラム/トンです。菱刈金鉱山の品位は極めて高い数値でした。
そして住友金属鉱山社は、1985年から本格的に採鉱(鉱石を掘り出すこと)を開始しました。年間で取り出す金の量は6トン~7トンを予定していました。金の埋蔵量は250トンと推測されていました。以来、この菱刈金鉱山は住友金属鉱山社の収益(利益)を支える重要な役割を果たすことになります。
明治以前において、金鉱脈を発見するには山々を歩き、人の目と勘に頼っていました。ひとつの方法として「ヤブムラサキ」の木が生えている場所に金が眠っている、という経験則がありました。確かにヤブムラサキの葉には金が極めてわずかに存在します。
1997年、住友金属鉱山社の累計金生産量は83トンに達しました。この量は、江戸時代初期(1601年)に開発された佐渡金山(1989年閉山)が388年間かけて生産した量に相当します。住友金属鉱山社はわずか12年間で佐渡金山に追いついたのです。
金の品位は住友金属鉱山社の株券にも大きな影響を与えました。1981年9月時点のこの会社の株価は¥200円ほどでした。ところが、1982年3月17日、日本経済新聞が「菱刈鉱山の金の平均品位は100グラム/トン」と朝刊で報じたのです。大騒ぎになりました。株価は¥1,230円(同年4月9日)まで急騰しました。

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