「銀河鉄道の夜」はとても有名な宮沢賢治の童話です。子供のころ読んだことがあるという方も多いでしょう。また映像化されたこともあるので、映画でご存知の方もいるかもしれません。
実はこの童話は宮沢賢治が亡くなる間際まで書かれていたので、未完なのです。ところどころ、抜けているところや、いくつも枝分かれして書かれているところもあり、編者によっていろいろな出版物があります。
この童話は長いこともあり、いろいろなエピソードが重なっていることも特徴のひとつでしょう。その中でも「さそりの火」のエピソードが印象的です。
「銀河鉄道の夜」のさそりの火、また、宝石に魅せられていた宮沢賢治の人生について調べてみました。

宝石の収集家でもあった賢治

宮沢賢治は1896年に、岩手県花巻市の裕福な古着屋兼質屋の長男として誕生します。賢治は貧しい家庭から搾取するような家業を嫌っていましたが、長男であることから家業を継ぐことを子供のころから期待されていました。
9歳くらいの時から石に夢中になり、いたるところで石を拾うことから、「石っこ賢さん」と呼ばれました。
このころから、石集めをはじめ、その収集は宝石にもおよびました。あまり知られていませんが、賢治は宝石学者、研磨技術者、宝石業者、コレクターの先駆けといわれています。
家業を継ぐのに学業はいらないと祖父が進学させない方針だったのを、父の政次郎が説得し、岩手県立盛岡中学校に進学させます。
中学を卒業してからは店に立ち、鬱々としていましたが、みかねた父が賢治を盛岡高等農林学校への進学を認めます。入学式では総代を務めたのですから、成績はかなり優秀でした。
1918年、東京の大学に進学していた妹のトシが肺炎で入院し、上京します。このころから法華経を念ずる国柱会に傾倒し、作品にもその思想が色濃くあらわれてきます。
1922年、心の支えであった妹のトシが結核で死去します。賢治は半年詩作できませんでしたが「永訣の朝」は文芸史に残る傑作といえるでしょう。
1926年校長の転任に伴ったという手紙を弟に送っていますが、1921年から教師をしていた花巻農学校を依願退職します。百姓になる、という決意であったようです。しかし、お坊ちゃんのお遊びの百姓だと揶揄され、収穫期まで育った白菜をすべて盗まれるなどの嫌がらせもうけました。
それにもめげず、賢治は農民の士気を高めるため、「羅須地人協会」として、家に農民を呼び、農業の指導をしたり、レコードコンサートや音楽楽団の練習などをはじめます。
しかし、その活動が社会主義教育と疑われ、花巻警察の聴取を受け、羅須地人協会の活動も先細りとなりました。
賢治は身体が弱く、このころ、高熱で倒れています。体調は回復しますが、無理な菜食主義などがたたり、結局1933年37歳という若さで肺炎で亡くなりました。

「さそりの火」のエピソード

「銀河鉄道の夜」は主人公のジョバンニが、親友カンパネルラを死出の旅に送るというのが物語のテーマです。ジョバンニとカンパネルラは銀河鉄道に乗り、星の世界を旅します。北十字星は十字架の象徴で、途中で乗り込んでくる青年と姉弟は客船が氷河にぶつかり、銀河鉄道で天国にむかいます。この作品は色々な意味が隠されているので、読み解く楽しさがあります。
途中で乗り込んできた青年と姉弟が話すのが「さそりの火」です。
毒のある尻尾で殺した虫などを食べ、卑しく生きていたさそりが、いたちに追われ必死に逃げたのち、井戸に落ちます。さそりは井戸の底で、いくつもの命をとってきた自分が、いたちに食べられることから逃げ、最後はいたちの食事にもならず、誰の役にもたたずに死ぬゆくことを悔やみます。そして「この次にはまことのみんなの幸いのために私のからだをお使いください。」といった途端、さそりは真っ赤な美しい火となり、夜の闇を照らしているのに気づくのです。それが赤い蠍座なのである、というのが「さそりの火」のエピソードです。
賢治はこのエピソードがかなり気に入っていたようで、「星めぐりの歌」にもこのさそりが登場します。
さそりの火はルビーよりも赤かったとされていますが、この作品以外にも「十力の金剛石(ダイヤモンド)」など、宝石を登場させた物語を多く残しています。「十力の金剛石」の中ではルビーがもっとも価値があるように描かれていますが、賢治は数ある宝石の中でも燃えるルビーをよく作品に登場させています。

実はパラサイトな息子だった

賢治の「雨ニモマケズ」が第二次戦時中、滅私奉公的に使われたこともあり、清貧の人というイメージがつきましたが、本当の賢治はかなり長い間、金銭的なことを父親に頼っていました。正直、お金持ちのお坊ちゃんだった賢治は、今で言うところの「自分探し」を親に頼って生涯し続けたのです。
一方で、芸術を理解せず賢治に家業をつとめさせたがったというイメージがある賢治の父親ですが、実のところ、夢みがちな賢治を生涯支え続け、深く愛した父親でした。
賢治はふがいない自分をよく承知していたからこそ、やりきれない思いを作品に昇華したのでしょう。
以上は意外な事実ですが、賢治の作品は今読んでも確かに新鮮です。その中でも「銀河鉄道の夜」は賢治の精神的なある到達点に達した作品であったといえるでしょう。
石っこ賢さんのお気に入りのルビーを身につければ、賢治の燃える魂を理解できるかもしれませんね。
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