葵祭は、上賀茂神社(賀茂別雷神社)と下鴨神社(賀茂御祖神社)で毎年5月に行われる京都の三大祭りの一つです。
そして、葵祭に欠かせないのが、葵の葉と桂の枝葉で組まれる葵桂(あおいかつら)。上賀茂神社と下鴨神社の両神社の神紋でもある葵の葉には、とても神聖な言い伝えがあり、今でも京都ではちょっと特別な植物として大切にされています。
そこで今回は、葵祭とフタバアオイの関係や、フタバアオイに古くから言い伝えられてきたことなど、詳しく見ていきましょう。
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葵祭の始まりは
葵祭は、1000年以上の歴史ある上賀茂神社(賀茂別雷神社)と下鴨神社(賀茂御祖神社)で行われる京都を代表するお祭りです。
葵祭は、今からおよそ1400年前、聖徳太子の祖父である欽明天皇の時に「賀茂祭」として始まりました。
当時、天候不良や洪水が起こり、作物は実らず凶作続きに…さらに追い討ちのように疫病も流行し、人々は苦しみの中で大混乱。そして飢饉となりました。
そんな混沌とした世の中を危惧した欽明天皇は、卜部伊吉若日子(うらべのいきわかひこ)に占いを頼んだのです。すると、「賀茂大神の祟り」というお告げが届きました。
すぐに欽明天皇は祭礼の準備をし、五穀豊穣や国民の無事を祈りました。この祭りが、今の葵祭の前身である賀茂祭として始まったのです。
そこから平安時代には賀茂祭は朝廷にとっても大切な祭礼として、国家的行事になっていくのです。
京の地では昔から1年通して様々な祭事が行われていましたが、当時は国を挙げての大切な儀式として取り扱われていました。
特に平安中期の頃、貴族たちは「祭り」といえばこの賀茂祭を指すほど大きな文化的行事で、その様子は源氏物語の中でも記されています。
葵祭を飾る葵桂(あおいかつら)
平安時代に上賀茂神社と下鴨神社の両神社のお祭りとして始まった賀茂祭は、応仁の乱によって一旦中断されます。その後時が過ぎ、1694年に復活。
再興のタイミングで、賀茂祭の際にはフタバアオイの葉と桂の枝葉を組み合わせて作られる葵桂(あおいかつら)が飾られるようになり、ここから「葵祭」と呼ばれるようになりました。
葵祭では、主役である斎王代はじめ牛車や社殿など、あらゆるところにこの葵桂が飾られます。
葵の葉にまつわる言い伝え(神話)
葵祭の名称にもなっている葵の葉には、日本神話としても不思議な言い伝えが残っています。
葵は「あふひ」と書かれていました。「あふ」は逢う、「ひ」は太陽や神様を指すことから、「あふひ」は「太陽や神様に逢う」という意味合いで捉えられていたのです。
また、太陽は別雷(わけいかづち)に通じるとも言われているのですが、上賀茂神社の祭神は賀茂別雷神(かもわけいかづちのかみ)。
その母親は、下鴨神社の祭神である玉依姫命(たまよりひめのみこと)。
ある日、玉依姫命が賀茂川で禊ぎをしている時、一本の矢が流れてきました。玉依姫命が大切に持ち帰ったところ、矢は御子へと姿を変えました。
その御子が成長し元服を迎えた時、祖父である賀茂建角身命が「お前の父親と思う神様に盃を」と伝えたところ、御子は「我が名は賀茂別雷神、私の父親は天津神」と言って、天に帰ってしまったのです。
残された玉依姫命は、泣きながら日々御子に会いたいと願っていました。すると、御子から「葵の葉を桂で編んで飾りなさい。そうすれば、再び会いに来る」というご神託が。
早速、玉依姫命はたくさんのフタバアオイの葉を飾って御子を迎える準備をしたところ、賀茂別雷神が降臨したという言い伝えが残されているのです。
玉依姫命が御子である賀茂別雷神と再会するために繋いでくれたフタバアオイ。
葵は「あふひ」と読まれ、「あふ(逢う)」「ひ(神や神霊)」で「神様に出逢える神聖なる植物」と伝えられてきました。
神様と人を繋いでくれるフタバアオイは、可愛らしいハート型。そして、下向きに可愛らしく小さな花を咲かせます。
フタバアオイの花を見ていると、玉依姫命が「再び息子に会いたい」と願った純粋な気持ちを思い起こさせてくれるようですね。
上賀茂神社と下鴨神社の神紋
フタバアオイは、上賀茂神社と下鴨神社の両神社の神紋でもあり、社殿の金具には葵の模様が刻まれています。
上賀茂神社、下鴨神社とフタバアオイのご縁も、上賀茂神社の賀茂の大神である賀茂別雷神が降臨され「葵と桂を編んで祀りなさい」というご神託があったことから、両神社の神紋となったと云われています。
両神社が執り行う葵祭でも、大切な装飾品となっているフタバアオイは、なんと1回のお祭りで12,000枚も!
毎年、お祭りの前日には、多くの人たちの協力のもとでフタバアオイと桂で葵桂が組まれ、髪飾りや牛車の装飾として祭礼を彩っています。
徳川家の家紋も葵の紋
水戸黄門の「この紋所が目に入らぬか」でおなじみの徳川家の家紋は、三つ葉のアオイです。しかし、実際に「ミツバアオイ」という植物はなく、フタバアオイに一枚足したもの、詰まり空想上のものとされています。
徳川家は松平家の頃から賀茂神社とのご縁があり、徳川家の将軍たちは賀茂氏の氏子であったとか。
その繋がりで、賀茂神社のフタバアオイから着想を得て、ミツバアオイという家紋ができたと云われています。
徳川家康も、長篠の戦いの際に参拝したと云われる賀茂神社、徳川家ともご縁が深いのですね。
フタバアオイモチーフのジュエリーを大切な人への贈り物に
葵祭では、天皇の代わりに選ばれた斎王(神社に奉仕した未婚の内親王)が遣わされていました。
この斎王の代わりとなる女性が「斎王代」で、葵祭のメイン行事の「路頭の儀」の主役的存在でもあります。
ジュエリーローラのオリジナルブランドの「心葉(こころば)」は、葵祭で斎王代が身に付ける装飾品の「心葉」からインスピレーションを得て名づけられました。
こちらは、心葉ジュエリーの「葵と馬の蹄のネックレス」。
葵祭の大切な装飾品であるフタバアオイ。玉依姫命が御子である賀茂別雷神を思ってフタバアオイに祈りを込めたように、大事な人と会いたい時、大切な人とのご縁をつなぐことが出来ますようにという祈りが込められています。
西洋のラッキーモチーフである馬の蹄も、悪霊を避けて幸運を貯めるという意味があり、西洋では玄関に飾られることが多いアイテムです。
フタバアオイと馬の蹄が大切な人の胸もとで輝いて、天の愛と光が降り注ぎますように。
まとめ
神様に逢える植物と云われているフタバアオイの葉は、玉依姫命と賀茂別雷神の再会のきっかけになった聖なる植物だったと伝えられています。
1000年以上の時を経ても、人が人を思う純粋な心は伝えられていくものなのですね。
大切な人へ宝石を贈るときも、相手の幸せや笑顔を思って選びますよね。
純粋で愛が溢れる気持ちをジュエリーに込めて、大切な人へプレゼントしてみてはいかがでしょうか。