日本人ほど真珠を愛する国民はいないのではないでしょうか?光輝く艶、ボテッとまん丸のバディー、そして冠婚葬祭に大活躍を見せるマルチユースの利便性。今回は真珠愛が止まらない日本人と、真珠に関する豆知識をお話ししてみたいと思います。
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真珠の歴史から用い方まで!だからパールは面白い
身近にある宝飾品として、比較的地味でなおかつ過少評価されがちな例として真珠が挙げられます。日本人女性なら養殖、天然真珠に限らず、1つは所持しているといっても過言ではありません。ここでは真珠の歴史を手繰り寄せながら、天然真珠から養殖真珠への遍歴についてまとめてみたいと思います。
興味深い真珠の使用方法
ダイヤモンドに熱中しがちな昨今でも、地味にそしてジワジワと真珠の魅力に人気は上がってきています。クリーム色に輝く真珠は、太古の昔から形は異なれど人々に愛されてきました。今でこそアコヤ真珠の他に南洋真珠、タヒチ真珠、マベ、アワビ真珠、そして淡水真珠など様々なパールが登場してきました。
昨今はカリブ海に生息するピンク貝から採取されるコンクパールが大変な人気を博しており、そのビビッドピンクは思わず口に入れたくなるキュートさで、特に若い女性にも人気を集めています。
様々な色合い、形の真珠がジュエリーに加工されていますが、ここでは単純明快な枠を飛び出した、多種多様な真珠の利用方法についてみていきましょう。
まず真珠は王族や貴族に愛されたジュエリーの素材であることから、世界に散らばる有名な肖像画の中に素晴らしいパールジュエリーのコレクションを鑑賞可能です。
例えばイギリスの宮廷画家Van Dykeが描いたヘンリエッタ・マリアとチャールズ1世は夫婦そろって、耳にペアシェイプのパールイヤリングをしています。パールは女性だけのものでなはなく、実際は多くの男性の耳、首そして頭を飾るアクセントとして利用されていたのです。
特に16~18世紀の宮廷女性の大胆なパールの使用はしばし常軌を逸脱しており、王冠、チョーカー、ネックレスにイヤリング、そしてストマッカーと呼ばれる胸飾りに多くのパールを使用してきました。欧州各国の宮廷、特にイギリスやフランスの王族女性は、彼女達が時代のモードを担っている自負があったため、それは膨大な真珠を競うようにドレスに縫い付けていることも肖像画から鑑賞可能です。
彼らが付ける真珠のジュエリーは他のジュエリーへの再利用が簡単、尚且ついざという時の財源確保にも役立ち、形を変えて、時には海を渡り所有者が変わっていったのです。
ファッション以外にも聖母マリアやキリストを描いたイコンと呼ばれる宗教美術は、油絵、テンペラで描かれた人物の衣装や外枠部分を様々な宝石、メタルとパールで埋めていく独特な形で正教会を彩ってきました。
またイスラム圏などでは真珠を頭の飾り物、つまりターバンに利用し、中国では漢方薬としても使われました。「本草網目」という真珠を使った漢方薬は長寿の特効薬として珍重され、日本にもそれが伝わり、各地で改良を重ねて医薬品として使用されたのは興味深いですね!
真珠は世界最古の歴史を誇るって本当?
真珠は日本に限らず漁業民族がいた国家では、たまたま取った貝の中に真珠を発見した痕跡が、はっきりと貝塚に見られ、その歴史の深さを感じさせてくれます。
一般的に真珠の歴史は紀元前にまで遡り、メソポタミアでは既に紀元前2000年頃から真珠を軸とした貿易が行われ、中国初の王朝である夏王朝の書「尚書」にも真珠についての記述があるくらいです。
また旧約聖書では詳細が語られていませんが、新約聖書では真珠が金と同等の価値があると記され、プリニウスの「博物誌」でも真珠は最高級品であると伝えています。
真珠は地味な印象がありますが、実はその歴史の深さに裏付けされた価値が根付いていたのです。
ちなみに日本では養殖真珠に注目が当たりがちですが、奈良時代の書「古事記」にも真珠に関しての記述があり、弥生時代から中国への献上品として真珠が送られていたことも分かっています。
養殖真珠の歴史とその試み
前述の真珠の歴史は天然真珠のことを指していますが、真珠は水のあるところ全てで採取できるわけではなく、日本、中国、ポリネシア、紅海周辺やオーストラリアなどでしか取れません。以前はスコットランド、ドイツ、インドやロシアなどでも産出されましたが、乱獲が原因で真珠採取は終焉を迎えています。
さてここでは天然真珠から養殖真珠への移り変わりを軸に、パールの魅力をご紹介したいと思います!
養殖真珠の歴史と日本
養殖真珠と言えば日本が牽引してきた分野ではありますが、養殖真珠への人々の情熱は遥か昔から向けられてきたのでした。最古の養殖真珠と言われているものは、1200年代に中国で作られた「仏像真珠」だと言われています。ネーミングそのままに、少し大きめなカラスガイの中に真珠の核となる小さな鉛製の仏像を貝の外套膜に挿入し、その周りに真珠層を形成させ、貝の中に小さな仏像型の真珠を形成しました。
これらを器用に切り取り仏具の一つとして崇め、その技術こそが不完全ながらも、近代の養殖真珠の礎になってきたのです。
その後仏像真珠の技法は欧州に渡り、18世紀のスウェーデン人科学者カール・リンネによる淡水産の二枚貝を使った養殖真珠作りに挑み、いくつかの球形状の真珠を遊離させました。しかし彼の方法ではコンスタントな養殖真珠作りに成功せず、1905年に御木本幸吉が真円真珠の養殖を成功させるまでは、誰一人として真円真珠の養殖というゴール地点まで到達しませんでした。(半円真珠の養殖には、19世紀後半にいくつかの成功例が報告されています。)
世界的にも御木本幸吉が作る養殖真珠が広まっていくとともに、ロンドンの天然真珠を扱う業者からは、養殖真珠=模造品とみなされ、それがパリに飛び火したパリ真珠裁判などの紆余曲折を経て、日本が誇る養殖真珠はその地位を頑固たるものにしていきました。
日本が牽引した養殖真珠の質の低下が叫ばれている!?
養殖真珠は人工の核を人為的に貝の内部に挿入し、時間をかけずに真珠層を形成していきます。天然では考えられないスピードで真珠層を形成していくため、天然ものと比べて、核の周りにある真珠層が薄いのが養殖真珠の特徴です。
ただし今から約100年前の御木本幸吉が作った養殖真珠は真珠層が1~1.5ミリ程度あったこともあり、天然ものと同等というお墨付きを得られましたが、現在の養殖真珠は真珠層の厚さが0.1~0.2ミリというほとんどが人工物の核の養殖真珠が世に出回っているのです。
全ての養殖真珠の質が低下しているとは言い切れませんが、中にはそのような養殖ものもあることも覚えておきましょう。
真珠は天然、養殖以外にもコットンパールなど綿を圧縮しパール加工をした模造パールもあるので、それぞれの特質、価格をよく理解し購入することをオススメいたします。
また養殖真珠の話題では必ずアンティークのパールジュエリーにまで話しが及びますが、実際19世紀後半以降には養殖真珠がジュエリーとして使われていますので、アンティーク=養殖真珠は存在しないとは必ずしも言い切れないのです。(アンティークジュエリーの定義は、制作されてから100年以上たったものを指します。)
イギリスのエエドワーディアン、フランスでいうベル・エポックと呼ばれる時期には、真珠層が厚めな初期の養殖真珠が使用されています。賛否両論があるとは思いますが、アンティークジュエリーのまるで生き証人のような初期養殖ものを眺めていると、人間がそれに向けた涙、涙の努力と情熱がヒシヒシと伝わってくるようです。
【まとめ】天然真珠と養殖真珠、TPOに分けて使いこなしてエレガントな女性を目指そう!
今回は真珠の歴史やその用途から、養殖真珠についてまとめてみました。ダイヤモンドや他の半貴石ばかりに目が行きがちですが、こうして真珠の歴史や雑学を眺めてみると、真珠に対する見方も変わってくるのではないでしょうか?
最近はパール業界も養殖ものが多くなり、その品質について異議が上がることも少なくありません。確かに真珠層が薄いと変色はしやすいですが、その分お財布には随分優しくなっているので、天然と養殖の違いをしっかり理解して購入する!そしてTPOに合わせて使い分ける、そんなフットワークの軽さを持って真珠の美しさに酔いしれて欲しいと思います。