『真珠の耳飾りの少女』という絵画をご存知でしょうか。17世紀のオランダの画家、ヨハネス・フェルメールのたいへん有名な絵画です。
真珠の耳飾りをつけた少女が、後ろをすこし振り返って微笑んでいるという上半身だけの絵画を、一度はどこかでご覧になったことがあるのではないでしょうか。かつて日本に一度来日した時、長い行列を作って見たことがあるといった方もいるかもしれません。
絵自体は意外なほどちいさいのですが、少女の目力や色彩の鮮やかさで人々の心に強い印象を残します。少女がうっすらと笑みをたたえていることから「北のモナリザ」あるいは「オランダのモナリザ」とも称されるこの絵画。人々を惹きつけてやまない秘密はなんでしょう。
フェルメールブルーは資金力あってこそ
フェルメールは1632年10月31日にオランダのデルフトで生まれ、1675年12月15日43歳で没しています。記述があまり残っていないことから、フェルメールには謎が多いとされています。
人生のほとんどを故郷のデルフトで過ごしましたが、存命中から画家としての実力は認められており、画家中心のギルド、聖ルカ組合の理事を二年勤めたこともありました。
1653年にカタリーナ・ボルネスと結婚し、15人もの子供を間にもうけます。そのため、お金を稼がないといけなかったわけですが、画業だけでは難しかったため、カタリーナの裕福な実母マーリアの家に家族で身を寄せました。
1655年にフェルメールの父親が亡くなってからは、実家の家業であったパブ兼宿屋を継ぎます。裕福なマーリアの後ろ盾や、家業を継いだこと、またパトロンもついたことからフェルメールは、当時、金と同じくらい高価なラピスラズリで作られたウルトラマリンブルーという青色を絵画の中で惜しみなく使用しました。その色彩は現在ではフェルメールブルーとよばれています。
『真珠の耳飾りの少女』は経済的に安定していた1665年くらいの作品とされていますが、ターバンで使われているフェルメールブルーが眩しいですね。
単純な話、お金があるということはいい絵の具を使えるということなのです。フェルメールが今でも人気があるのは、技術や構図の巧みさもさることながら、色彩の美しさでもあります。今でも退色の少ない鮮やかなその色彩は、実は資金力があったからこそとも言えるのです。
日本で最近再評価が高まっている伊藤若冲も、潤沢な資金力でいい絵の具を使ったがゆえに、今でもその美しい色彩が退色せず保たれていることで他の浮世絵画家と一線を画しています。伊藤若冲はそのことをすでに描いた当時から見越していたとされています。
フェルメールが、当時から何百年も先のファンのことを考えていたかどうかはわかりませんが、フェルメールに裕福な時代があったということは幸福な偶然とも言えるでしょう。
43歳という若さで絶命
フェルメールの絶頂期といえるのは、1653年くらいから1670年まででしょうか。それまでは画業も認められてパトロンにも恵まれ、資金力もあったことから年に2、3枚の絵画を描くだけでよかったのですが、1670年くらいからその人生に陰りがでます。
第三次英蘭戦争がはじまってオランダの経済が低迷したこと、若い画家の台頭、パトロンの死去、戦争により義母の資産が減ったことなどが重なり、フェルメールの経済は困窮を極めました。戦争勃発以降、フェルメールの絵は一枚も売れなかったそうです。
フェルメールは必死に負債を返そうとしましたが、ついに1675年にデルフトで死去しました。
フェルメールの死後、絵は競売にかけられましたが、その当時でも高値がついていたことから、決して忘れられた画家ではなかったと言えます。
しかし、あまりに現存する作品が少ないこと、18世紀の画壇を牛耳っていた芸術アカデミーの方針とテーマが違っていたことなどから、風俗画を主に描いていたフェルメールの名前は徐々に忘れ去られようとしていました。
19世紀になって絵画の自然回帰の機運が高まり、フェルメールも再び注目されるようになりました。
『真珠の耳飾りの少女』のモデルは娘のマーリアであるとされていますが、絵の正確な制作年月日がわかっておらず、娘ではなく使用人だった、いや愛人だったなど、諸説あります。少女は頭に青いターバンを巻いていますが、このエキゾチックな風俗は当時の流行りとは無縁で、注文を受けて描いたのかどうかも謎です。肝心の真珠に関しても、当時としてはかなり高価なジュエリーであったため、本物かどうか不明です。
この絵は小説や映画にもなりましたが、映画ではフェルメールの絵画の構図やモチーフとなったデルフトの風景などがあり、フェルメールの世界を堪能できます。
真珠のピアスで『真珠の耳飾りの少女』気分
いかがですか?微妙で繊細な光の表現が際立つフェルメールですが、15人もの子沢山だったというのは意外でしたね。
フェルメールはその作品の美しさ、希少性から、度々盗難にあっています。1990年にボストンで盗難された「合奏」は今でも見つかっていません。ほとんどの作品が小ぶりであることも盗難されやすい要因でしょう。
『真珠の耳飾りの少女』は、現在オランダのマイリッツハイス美術館に所蔵されています。そう気軽には見に行けませんが、真珠のピアスをつけて青い帽子をかぶれば、あなたも『真珠の耳飾りの少女』の秘密がわかるかもしれませんよ。
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