発見はふとした少年の好奇心から
南アフリカのオレンジ川(東西方向に流れる川)の近くに住むボーア人(Boer、南アフリカに住むオランダ系移民)、農夫・ヤコブス(Jacobs)の息子、フレドリカ・ヤコブ少年は、1866年、川岸でキラキラ光る小石をひとつ見つけました。
その少年は美しい小石を持ち帰り、母親に見せました。その後、母親は隣に住むボーア人にその石をあげてしまいました。その隣人は、この小石が不思議に思えたので、知り合いの貿易商を通じて、ある行政官に渡しました。
10年に及ぶ混乱の時代
ド原石であることが判りました。
小石がダイヤモンドであった、との噂はたちまち広まりました。オレンジ川周辺はダイヤモンドを探す人々で溢れました。付近の農場は勝手に穴を掘られ、地主ともめる騒ぎが頻発しました。
10年後の1876年には、南アフリカでダイヤモンドを採掘する小企業が98社にも達し、オレンジ川の周辺、約3,600個所で採掘作業が行われていました。
デ・ビアスの誕生によるダイヤモンドの大衆化
ダイヤモンドの採掘で一攫千金の夢をみる人達の中に一人の青年がいました。デビアス社を創立した人です。その人の名はセシル・ローズ(Cecil John Rhodes)です。イギリス出身で牧師の息子でした。
セシル・ローズは、1873年、オレンジ川付近の小さなダイヤモンド鉱区を買い取り、「デ・ビアス・マイン会社」(De Beers Mine Ltd)を創立しました。この鉱区の前は農場で、農場主はボーア人のビア(Beer)兄弟でした。ヨハネス・ニコラス・デ・ビアとディーデリック・アーノルダス・デ・ビアという双子の兄弟が農業を営んでいました。その農場は「デ・ビアス農場」と呼ばれていました。
当時、会社の名前を付けるとき、その場所の地名、農場名を充てることが習慣でした。そこで、セシル・ローズも会社名を「デ・ビアス」社としました。この名前はオランダ語です。Deはオランダ語で複数形の頭に付けられるようです。Beersは同じくオランダ語で熊の意味です。De Beersはオランダ語で、直訳すると「兄弟熊」といった感じです。
南アフリカでのダイヤモンド発見とセシル・ローズが創立した「デ・ビアス(デビアス)」社の出現は、ダイヤモンドの大衆化とデ・ビアス社のダイヤモンド・シンジケート(独占形態、Syndicate)へと展開して行きます。
人類とダイヤモンドが出会ったのは、紀元前数百年頃と言われ、出会った地はインドでした。
その後、1715年、ブラジルでダイヤモンドが発見されました。インドは約2千年近くの長い間、ヨーロッパの王侯貴族達にダイヤモンドを供給したことになります。
そして、南アフリカでダイヤモンドが発見されました。その埋蔵量は豊富で、世界の多くの人(庶民、一般の人)がダイヤモンドを入手できる時代になりました。